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チワワは世界最小の純血種であると考えられており、
その小ささから犬種のあだ名はポケットに入るくらい小さいので『ポケットドッグ』と呼ばれます。 (ヨーキなら『動く宝石』とかね)
犬種名はメキシコ最大の州の名前に由来しています。

 チワワの紀元説はミステリーに包まれています。
何しろ、この犬種は手をほとんど加えられず、
原種といわれる生態を持っていますが、
古くからのこれが正しいと言われる文献などが残っていないのです。
一番有力と言われる起源は原産はメキシコではないかと考えられています。

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メキシコ??
 今から1000年以上も前の9世紀の始め、メキシコ先住民のトルテカ族(トルテック族とも言われる)の間で、テチチ(またはタチチとかアルコとか呼ばれるいう説もある)という豚に似た小型犬が飼われていたことが知られており、これがチワワの先住犬ではないかと言われています。
 テチチは1530年頃のフランシスコ修道院の修道士達が、現在のメキシコシティからプエブラに至る高速道路付近に創設したHuejotzingo修道院で発見された石に彫刻された絵でその犬の存在と様子が知られるようになりました。
 テチチは、地中の穴に住み、野生の状態で棲息する小さ な犬であったが、トルテカ族により家畜化されたと言うのが定説となっていますが、その彫刻の絵以前の記録はまったく皆無である理由で、その存在が確かにメキシコ産であると言い切れません。
この修道院はトルテカ族がチョルラに立てたピラミッドの残骸を用いて造ったものです。
また、ピラミッドの遺跡やユカタン州の中央部にあるマヤ人の古都の遺跡、チッチン・イサダにも、昔、テチチが存在していたという暗示が存在します。
トルテカ族は主にトウラ周辺に文明を持っていたが、このチッチン・イサダ(またはチチェン・イツァーと呼ばれる)はメキシコシティに近く、ここから古代犬種のレリーフがたくさん出土すると言われ、とりあえず、確かにチワワの祖先の基はここには存在していたと確定できるので、一応の原産地はメキシコとなっています。

そのHuejotzingo修道院で発見された彫刻絵や、チッチン・イサダのレリーフから可愛がられ、また、神聖視されていたことが伺えます。
   
 トルテカ族は死んだ人の魂はこの犬によって神の元へ導かれると考え、また、人が生前に犯した罪をもっとも身近な存在のこの犬が背負って清算してくれるとして一緒に埋葬されていた風習があったと言われます。
一説にはブルー系の被毛を持つ犬は神の使いとされ、人間の霊魂を冥府の安全なところに導くと言われ、、
レッド系の被毛を持つ犬は神へのいけにえとされ、灰になると、人間の罪が犬に移り神の怒りから逃れるとしていたそうです。
このように、神と人間をつなぐ使者と考えられ、他動物とは異なる特別な地位にあり、多くの遺跡の中にその姿らしきものを残しています。

 メキシコ先住民トルテカ族はその後滅ぼされ、アズテカ(またはアズテック)族が支配する時代に。
アズテカ族の上流社会では犬は高く評価され、犬は吉兆の象徴であり暦にも14番目の印に用いられ、犬の日には壮大な祭事が行われ、その日に統治者の選出が行われたそうです。
犬をトルテカ文明と同じく、葬儀に用いられましたが、ただ、アズテカ文明では黄色い小さな犬のみを使用したそうです。

Sahagin氏(フランシスコ派の修道士 1499-1590)の記録によると、使者はその地位や死に方により3つのあの世に行くと信じられていました。
それぞれの天国にたどり着くには9つの難関を通過しなければならず、小さな黄色い犬はが案内役として主人を巧みに天国まで誘導すると信じられていたそうです。
その為、アステカ族は葬儀に用いる犬を確保するのに大変苦労をしたらしく、その為、黄色い犬がどれだけ大事にされていたのか民話に残っています。
『小さな白い犬は体を洗ったばかりなので白くなったのだと言い訳をし、黒っぽい犬はただ汚れているだけだと言い張った。
しかし、黄色い犬は自分だけが死の国の9つの難関を越えることが可能であると、いつも傲然と構えていた。』
1850年頃に古代アズテカ族の皇帝モンステマ1世の宮殿の遺跡から、犬の遺骨が発見されました。
その他でも古代メキシコや北アメリカの一部の墓から出土された小型犬の遺骨から、テチチはトルテカ族からアズテカ族に受け継がれたときに、そこでも神聖視されることをも受け継がれたことが想像できます。
こういった先住民の宗教観が古代犬テチチの保護に役立つ事となり、結果的に ほとんど体形、タイプを変える事なく飼育されて来ました。
トルテカ族から毛色にまつわる風習が受け継がれたのか、アズテカ族は富裕階級の人々は特にブルー系の毛色の犬を大切にしたと言われます。
右画像は西暦300年頃のもので、犬とキスするメキシコ人の女性の土偶。
 その後、1519年スペイン軍を率いたコルテスの侵略によって、アズテック族のすべて の文明が破壊され、アズテカ族は奴隷となり、この神聖であるべき犬は、食用として繁殖したり、湯たんぽ代わりに抱いて寝る為の暖房犬としたと伝えられています。
肉類に飢えていたスペイン人が、テチチを食用としたため、文明を破壊されたアステカ族はその飼育を辞めてしまったとも言われていますが、庶民レベルではテチチはトルテカ族もアズテカ族も、犬を食用にしていたので、当然テチチも食されていたと考えられ、この為に飼育を辞めたというのは富裕階級の人のことのみを指すのかもしれません。
そして、文明破壊により、宗教観が変わり、その時代に無毛犬チャイニーズクレステッドドッグと交配されて、現在のスムースチワワに近い犬種が誕生したと言われます。
チャイニーズクレステッドドッグ
子犬の頃など、骨格構成が他犬種よりもかなり現在のチワワと似ているように感じます。
写真提供者のかな様からの情報だと、『チャイニーズクレステッドドッグもオールカラーOKの犬種でチワワと同じくパイボールド因子も持っている個体もいる』という基本的なカラー遺伝にかかわるような情報もいただきました。
そして、この地域のテチチは数世紀に渡り消息が途絶えました。


他にもその付近に関してテチチらしき話も残っています。

 1492年、イタリア生まれの航海家でスペインの援助を受け、新大陸をはじめて発見したコロンブスは、現在のキューバからスペイン王に宛て、
「小さな犬で、吼えない犬が家畜化されている」
と報告したことがあり、
アズテカ族のことを記した文献に
「小さいが太った豚のような吼えない犬で地ネズミかウサギのように小さく、地中の穴に生息している」
     
というのがありますから、コロンブスのいう小さな犬と共通点が多く、スペイン王に報告された犬もテチチであるのではと言われています。
ただし、スペインの征服者達はハナグマ、アライグマ、コモリネズミも犬と呼んでいたという説もありこの豚のような吼えない犬というのがテチチであるとは断定できず、、また、アズテカ族は航海を知らない民族であることから近いとはいえ、なぜ、テチチがキューバ島に渡ったのかというのはミステリーです。


 そしてミステリーといえば、テチチは北アメリカと国境を接するチワワ州で、野生であったものを家畜化したという噂ですが、この地方は寒冷地帯なので、なぜ、この小型犬がそんな環境で野生として暮らせていたのかが不思議です。

 野生であったというのがミステリーではありのですが、では野生ではなかったのかというと、それは間違いだそうで、1903年チワワの一群を連れてヨーロッパ旅行をしたRosina Casselliという人物がいらっしゃいます。
その方曰く、自分の犬(チワワ)は確かに、チワワ州で野生状態で生活していたということです。
ただ、20世紀まで野生であったということはとうてい考えられない話だそうで・・。
私などは、野生を考えると、チワワは愛玩犬といっても、『愛玩するための犬』ではなく、『愛玩を必要とする犬』であるようなところも多いなぁと感じることが多いのですが・・・。強い犬種であるとも感じますが、野生では敵が多すぎて簡単に絶命するのではないかと感じますが、20世紀まで野生であったとすると、これまたミステリーです。
    


マルタ島??イギリス??
 そういった理由で、テチチの起源、本来のチワワの起源は古代エジプトに存在した小型犬が植民者と共に地中海のマルタ島に渡り、メキシコに移動したという説がありますが、あくまでも推測であり、やっぱり、ミステリーです。

さらに、チワワはヨーロッパをルーツとする、という説もあり、この説が一番合理的であるともいわれています。
これは、チワワに似た小型犬が出現したのは約3000年前の古代エジプトであり、その後地中海で小さくモレラを持つ犬は栄えた、というものです。
現にエジプトの遺跡から、チワワの特徴であるモレラを持つ小型犬の骨が発見されています。

紀元前600年頃、小さくモレラを持つ犬は北アフリカからカルタゴ人によってマルタ島に連れて来られ、ポケット犬として知られるようになったという説があります。
イギリスのPerlith Hamilton氏の著書では小さくモレラを持つ犬は地中海の各地に数百年の間、比較的変化せずに存在したと記述があります。

1577年にはにシェイクスピアなどの劇作の資料になったホーリンシェドの年代記に『マルチーズは小さくて粋であるが、もっと小さい犬のほうがさらに良く、とくに前頭部にモレラがあるのが好まれる』という記事が載っています。

1841年にマルタ島がイギリス領となったのを期に、マルタ島の小さくモレラを持つ犬はイギリス本土へ渡り、ヨーロッパに広がるのです。
さまざまな人が小さくモレラを持つ犬の姿を絵や文献に残していますが、それらは現在のチワワの特徴をよくとらえています。
アイルランド博物学者のMr.Richardson氏は1847年に出版した本にその小さくモレラを持つ犬のことを「マルチーズ・テリア」という名称を与えたととも紹介されており、彼の記述では、『短毛で黒が好まれるが、赤や白でも良くて、直立耳で非常に勇気がある』と述べているが、まさにチワワらしいではないでしょうか?
当時、動物画の名手とうたわれたSir Edwin Landseer氏はキングチャールズ・スパニエルとその黒く小さくて短毛の犬を描いている。
イタリア、ルネッサンス時代の「ビーナスの誕生」で知られる有名画家ボッティチェリ(1445-1510)が、ローマのバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂にフレスコ画法で描いた少年の抱いている一頭の犬はクリーム色のチワワであるといわれる人もいます。
そして、スペインの王室で飼われていたという記録も残っていることから、スペイン人の植民者によりメキシコに渡ったのだろうと推測されているのです。





中国??フィリピン??
 それがチワワの起源は中国にある、という説の基は複数に分けられます。

 東洋では数百年前から植物を小型化するように動物を小さくすることが流行りました。
鶏をチャボに、植物は盆栽に、魚は金魚に・・。
中国人の祖先は動植物を観賞用に小型化する才能に長けており、犬まで小さくしてしまったという説があります。
そしてその時代、中国で小型化したイヌを、メキシコに移住した中国人(アステカ族の祖先はアジアから渡米したといわれている)が持ち込んでテチチとなったというのです。
これが中国の1つの説で、テチチ以前の話という意味のチワワの歴史です。

 他、1563年、フィリピン諸島を手に入れてマニラ市を建設したスペイン人は、やがて中国からフィリピンを経て太平洋を横断し、メキシコの南西部の港町、アカプルコに至る通商ルートを開拓しました。
中国の小さな犬を1785年、珍種として番でメキシコシティに初めてその姿を現すことになったと伝えられています。
1885年頃にはメキシコシティーの裕福層に飼われていました。


 ほかにも、テチチ以後の話になりますが、アジアからシベリアに渡って来た無毛犬(チャイニーズ・クレステッド・ドッグ)とメキシコ原産のテチチを掛け合わせてチワワが誕生した、という話もあります。
また、当時中国からは相当数の小型犬が輸入され、多くの中国人が移民としてメキシコに渡っています。
メキシコで中国人移民が小型犬をかけあわせてイヌを作ることは想像に難くなく、テチチに何らかの手を加えたのではないかともいわれています。
現にメキシコでは小型犬の総称を「中国犬」と呼ぶそうです。




テチチとチワワは無関係??
 また、上記根本を揺るがす説として、テチチは犬ではなく、げっ歯類(ねずみなどの仲間)の動物で、スペイン人が来るまでメキシコに存在しなかったというのを、考古学者や古生物学者が意見しています。
ただ、チワワのDNAは狼のそれと同じで、ネズミのそれとは異なるので、そうなると、チワワとテチチはなんの関係もないということにもなります。
それに、あらゆる大きさの骨や像が発見されていることからそれは間違いではないのかというのが多くの意見です。

 ただ、1950年、メキシコケンネルクラブの機関紙の編集者がチワワの起源に関する調査を行い、テチチがチワワ州の山岳地方に野生の状態で生息しているのかどうかを調査したそうです。
大変な努力と非常に多くの情報の調査の結果、次の結論に達したということです。
「カニス・アメリカヌス(チワワの学名)は昔の人々によって再び飼いならされ、チワワシティとValle de Aendeの村に見出される。そして、Cynomisはチワワ州の北東部に住む小型のげっ歯類でチワワ犬とは何の関係もない。」
  
南米からメキシコの一部にかけて、アグーチというウサギくらいの大きさのげっ歯類が存在していて、木の根のまわりに大きな穴を掘って集団で住んでいて、容易に飼いならすことができるとのことで、メキシコケネルクラブが集めた資料の中でシノミスがこのアグーチであるかどうかはわかりませんが、現地のチワワ愛好家の間で信じられているようです。

 また、テチチと呼ばれるげっ歯類は大変勇敢でシカを追い、時には倒したとあります。個人的意見では、「犬ならばいざ知らず・・ネズミがシカを?」と思ってみたり・・・。

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この時点ではまだテチチであり、チワワとして犬種は確定していません。

 チワワがアメリカに渡った説には2つあります。

 1850年代にはメキシコのチワワ州に
『飼っていると喘息に良くなるという犬がいる』ということで
ロサンゼルスの人間のお医者さんがはじめて数匹アメリカに連れて帰り、
喘息の病を持つ人にチワワ州の犬を与え、
医学的根拠は見つけられないものの、その結果が出たということです。
その為、その後、何度も喘息の妙薬(?)として輸入したそうです。

 他では、中国人の移民がチワワ州と隣接するアメリカ・テキサス州に持ち込んだという説もあります。

当時のチワワには他の犬種にない特徴がありました。
 @モレラと呼ばれる頭蓋骨の一部が接合せずに隙間が開いているということ。
 A尾の骨が横に平であること。
 B非常に長い指骨と爪を持っていたこと。
@は今でも多くのチワワで確認できます。
Aは注意すればかなり残っているようです。
Bはその後の改良により、ほとんど残っていません。
もしも、ご自身所有のチワワの指骨が異常に長かったらそれは先祖帰りですね。
是非、こちらまでお写真送っていただきたいと思います。
とにもかくにも、これらの犬達が現在のチワワの基礎犬です。

 当時はそんなにチワワはそれほど人気はありませんでしたが、 ルンバの王様と呼ばれて有名だった音楽家ザビア・クガート氏(日本で最初に「マンボNo. 5」という曲でマンボを伝えた人物 1990没)が、ペットとして飼っていたチワワを、たびたび公衆の前に連れ立って出てきて、ニューヨークのウォルドフ・アストリア・ホテル専属のオーケストラのかたわら、世界中を演奏旅行していたザビア・クガートは、チワワ犬を抱えながらチェロを弾きなおかつ指揮もするという名演技で聴衆を沸かせていました。
当時のシーンは、ビデオ「ザッツエンタテイメント・パート2」で見ることができます。


オペラ歌手のEnrico Carusoもチワワ愛好家として有名で、よくチワワと写真を撮られていますね。

1934年アメリカ ウェストミンスター展にて。
1930年代の有名女優、Miss Lupe Velezは、点眼器を用いてチワワの面倒をみたそうです。
こうしたことから、チワワの人気は一気に上昇することになりました。
そして、アメリカでの選択繁殖により、より小型に 改良固定されたものが更なる品種改良がされ、独特なアップルドームと言われる林檎のような頭を持ったりなどして今のチワワの姿が固定されました。
現在ではメキシコでもアメリカから逆輸入され、それがチワワの系統とされています。

  現在での有名人チワワ飼い主はチワワ研究所のカテゴリー『有名飼い主』にまとめています。


 チワワが初めてショーに出展されたのは1884年。
当時は「チワワテリア」と称され、雑種クラスに分類されていました。
それまではメキシカン・テキサスとか アリゾナ・ドッグと呼ばれていましたが、この改良固定された犬はPerro Chihuahuano(ペル・チワワーノ)「チワワ地方の犬」と固定され、それがそのまま今日の犬種名になりました。
犬種としてチワワと呼ばれるようになり、1887年にアメリカン・ケネル・クラブ(AKC)が公認の犬種として認めました。
そして、1904年、AKC(アメリカンケネルクラブ)にテキサス州エルパソ市のRaynor氏によって初めてチワワが登録されたました。
その記念すべき、最初の登録犬のチワワは1903/07/18生まれの名はMidget(読み方ミジェット/意味チビ)といいます。
同年、他に5匹のチワワが登録されましたが、その5匹のうち、4匹はJ.M.Leeという方の登録でしたが、5匹ともMidgetの所有者のRaynor氏が繁殖したと言われています。

 チワワ公認時にはスムースチワワしか居ませんでした。
突然変異でロングコートが生まれたという説もありますが、
その様子からパピヨンやポメラニアンなどの長毛種とかけらわされ
現在のロングコートタイプが生まれたと言われます。
 また、アメリカの本犬種の研究家であり、審査員であるJames Watson氏が初めてメキシコからCranza(カランザ)という名の雄の長毛種を入手したとあります。
Cranzaは約3ポンドの体重でリスのような尾と長い房毛のついた耳をしていたと記録にあります。
その名はメキシコ大統領からそのままつけていますが、形態から明らかにポメラニアンの雑種だと推測されます。
それにもかかわらず、Cranzaは最初の有名な種雄となり、初期の優勢な血統の元祖になっています。
その頃、チワワはジステンバーにならないという言い伝えがあったので、このロングコートもジステンバーにかからないからチワワに間違いないと言い張ったとそうです。
このCranzaというチワワが今日のすべてのロングコートチワワの祖先であるとも言われています。

 その後、パピヨンが多く使われたそうで、ロングコートの初期には1色で構成されたチワワはポメラニヨアン似、パーティはパピヨン似とはっきり区別できたそうです。

 日本では戦後にアメリカの進駐軍将兵がスムースチワワをペットとして持ち込んだのが最初です。
基地を中心にかなりの数増えましたが、その頃の日本では洋犬というのは本当のお金持ちしか手にいれることができず、また流行は狩猟犬であったことから実際の飼育頭数は今では考えられないほど伸びませんでした。
そして、進駐軍の撤退と共に、一気にその頭数は減りました。

そして、まだほとんど日本でロングコートを見ることが出来なかった時、アメリカンチャンピオンのテキサスボーイがテキサス州からやってきました。
多くの日本のロングコートチワワはこのテキサスボーイの血をひいていることでしょう。
    ←テキサスボーイ

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Chihuahua-Club of JAPAN